大里用水の歴史

大里用水の概要 | 大里用水の歴史 | 大里用水の多目的機能




 大里用水の歴史は古く、今から約400年前の江戸時代のはじめに、「荒川の水を利用したい」という願いがかない、荒川に6つの堰が作られました。6つの堰とは奈良堰、玉井堰、大麻生堰、成田堰、御正堰、吉見堰です。しかし、昔の堰は、今のようにコンクリートや鉄で作ったしっかりしたものではなく、木や石を組み合わせて作っていたため壊れやすく、大雨が降れば堰が流され、そのたびに復旧を余儀なくされ、そのような工事にはどの村も総出で修理にあたり、たくさんの費用もかかりました。また、日照りが続き、荒川の水が少なくなった時には、上流の村で水を取り入れると、下流の村の水が少なくなってしまうので、6つの堰から水を取っていた村々が水を取り合い、水争いが起きるなど、新たな苦労も生まれました。

 この様な問題を解決するため、昭和2年から昭和14年にかけて「県営用排水幹線改良事業」が実施され、6つの堰を1つに統合した六堰頭首工が、昭和14年に旧花園村永田(現深谷市永田)に完成しました。また、頭首工と一緒に幹線用水路等も整備され、安定した農業用水の取水が可能となりました。

 さらに、昭和36年に「荒川総合開発事業」で旧大滝村(現秩父市)に二瀬ダムが建設されたことにより、台風時などの水害の恐れが解消され、安定した農業用水の確保もできるようになり、昭和35年から45年にかけて実施された「国営荒川中部農業水利事業」で用水路等の整備が行われたことにより、新たな地区への用水供給も可能となりました。

 しかし、頭首工完成から50年以上の月日が経ち、施設の老朽化や荒川の河床低下が原因で洪水に対する危険性が増大し、また社会情勢の著しい発展により都市化が進み、生活排水の混入による農業用水の水質悪化や、水源の地下水依存による地盤沈下などの問題が出てきました。この様な状況から改善するため関係市町村、改良区により、関係機関に事業の実施について要請した結果、平成6年度に「国営大里総合農地防災事業」の着工に至り、平成18年度の事業完了までに総事業費405億円の巨費を投じ、六堰頭首工の改築や幹線用水路等の整備が行われ、農業用水の安定した供給ができるようになり、農業用水の水質悪化や荒川の河床低下による洪水に対する危険性なども解消されました。また、国営事業と併せて「国営附帯県営農地防災事業」も平成7年度より着工し、国営事業により整備された幹線水路を有効的に利用できるように、下流部で枝分かれしている支線水路等の整備を実施しており、現在も事業を行っています。